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Bodhi:意味とコンセプト

悟り、その言葉の系譜、そして悟りへと導く七つの要素

言葉の系譜 ―― Budh

サンスクリット語の語根 budh は、目覚める、知る、理解する、気づく、を意味します。このひとつの語根から、悟りをめぐる語彙の全体が育ってきました。Bodhi は名詞で、悟り、目覚めている状態のこと。Buddha はその主体で、「目覚めた人」。Bodhisattva(菩薩)は悟りを志す者で、悟りをその本質、あるいは目的とする存在(sattva)を指します。Bodhicitta(菩提心)は悟りを求める心で、意識ある生の最高の目標として bodhi を志し、そこへ向かう心の向きのこと。そして Prabodhana は、他者を目覚めさせる行いを指します。

この言葉に込められたたとえは的確です。私たちは、意識ある時間の大半を一種の眠りのなかで過ごしています。意識を失っているのではなく、習慣や思い込み、見つめられることのない欲望に動かされ、自動操縦のように生きているのです。Bodhi とは、この眠りから目覚め、はじめからずっとそこにありながら、まだ見えていなかった明晰さへと至ること。この言葉が表しているのは、何か新しいものを手に入れることではなく、すでにそこにあったものに気づくことなのです。

三種の Bodhi

仏教の教えは、bodhi を主に三つのかたちに分けて説きます。それは、伝統のなかで認められてきた、さまざまな霊的な志を映し出しています。

Sammā-sambodhi(正等覚、完全で円満な悟り)は、完全に悟ったブッダの悟りです。師をもたずに自ら道を見いだし、それを他者に的確に説く力をそなえた人の悟り。もっともまれで最高のかたちであり、きわめて長い宇宙の時のなかで、ただ一度だけ実現するとされます。

Paccekabuddha-bodhi(独覚の悟り)は、師をもたずに自ら解脱に至りながら、その道を体系立てて他者に説く力や志をもたない人の悟りです。深く悟りながら、自らの解脱のなかで静かに暮らす存在です。

Sāvaka-bodhi(声聞の悟り)は、ブッダの説いた道に従って修行する人が至る解脱です。どの時代の仏教においてももっとも一般的な悟りのかたちであり、上座部の多くの実践者が志すものです。大乗では、これを Śrāvaka(声聞)の道と呼び、生きとし生けるものすべてのために sammā-sambodhi を目指す菩薩の道と対比することがあります。

Bodhi と Nirvāṇa ―― 近しく、けれども異なるもの

Bodhi と nirvāṇa(涅槃)は深く結びついていますが、同じものではありません。Bodhi は、澄んで見る働き ―― 解脱した心の特徴である、ものごとのありのままを直接に知ること ―― を指します。Nirvāṇa は、渇愛、怒り、迷いが吹き消されること ―― 苦しみからの、根本からの解放 ―― を指します。実際には、この二つはともに起こります。bodhi の澄んだ見方こそが煩悩を吹き消し、nirvāṇa をもたらすのです。けれども概念のうえでは、同じひとつの解脱の、異なる側面を名指しています。

よく使われるたとえがあります。bodhi は目がひらくこと、nirvāṇa は熱が冷めること。どちらも同じ瞬間に、同じ人のなかで起こります。けれども一方は心がいま知っていることを、もう一方は心がずっと抱えてきたものから解き放たれた安堵を表しているのです。

Bodhicitta ―― 悟りを志す心

大乗仏教において、bodhicitta(菩提心)―― 悟りを求める心 ―― とは、自分ひとりのためではなく、生きとし生けるものすべてのために bodhi を得たいと願う志です。それは、仏道を歩む人がもちうる、もっとも人を変える心の向きとされています。真に菩提心を起こしたその瞬間、わずかな金がふれた金属の質を変えてしまうように、修行者の霊的な歩みの全体が変わる、と説かれます。

菩提心には二つの側面があります。すべての存在のために悟りを得たいと願う「願」(praṇidhāna-bodhicitta、願菩提心)と、実際に道を修める「行」(prasthāna-bodhicitta、行菩提心)です。この二つがあわさって、bodhi へと向かう心の向きが、人の生のなかで生きたかたちをとるのです。

七覚支 ―― 悟りへの七つの要素

パーリ正典は、bodhi が生まれるための内なる条件として、七つの資質(satta bojjhaṅgā、七覚支)を挙げています。これらは順に進む段階ではなく、修行を通じてともに育っていく、互いに支え合う資質です。

ブッダは、これら七つの要素を釣り合いよく育むとき、それはまっすぐ bodhi へと通じると説きました。七覚支は悟りへの道であると同時に、歩みが深まるにつれて、悟りそのものの風景にもなっていくと語られています。

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